第2話:「矛盾だらけの医療政策を考える」

─ ある現実: 医師の喘ぎと患者の不安 ─

I. はじめに
現代は、まさに「医師と患者」の受難の時代であろう。
私は田舎で内科を開業しているが、我々が「医師であることを続ける」ためには以下の最低の労働条件が満たされる必要があるものと思う。
 1. 医業経営状況が良好であること。
 2. 患者の問題(訴え)を十分考えることができる精神的・時間的余裕 があること。

しかし、総医療費削減を唱える厚生省の描いているシナリオは以下の如く集約される。
 1. 中小病院・有床診療所経営悪化政策
   実際には実現できぬ部分で診療報酬を上げて、総体として診療報酬 を下げるとい
   う矛盾。
   これでは急騰する人件費に追随できない。
 2. 高齢者及び慢性疾患患者の医療費抑制政策
   在宅医療の名の下に患者・家族の意志や希望が無視される現実。
 3. 家庭医・かかりつけ医制度
   もっともらしいが、これは患者の「医師を選ぶ権利の侵害」につながる恐れがあ
   る。
   複数の医療機関で一人の患者を診ることが、医療費増加につながるという考えが
   この制度の背景にある。
   医療に対する価値観は個々に違っており、高度に専門家した医療のもとでは、複
   数の医療機関で複数の目で患者を診る事が早期診断・早期治療に不可欠ですらあ
   るといえよう。
   (こういう時代錯誤な制度を日医が推進しているのには愕然とする。)

以上の事から、医師(特に開業医)は「医師であることを続ける」ために、少しでも多くの患者を得るために医療そのものを見失いかねない。つまり、患者の問題(訴え)を十分考えることができる精神的・時間的余裕もなく、在宅医療に飛び跳ねなければならない事態に陥る危険性がある(もう既にそうなっているのかも知れない)。

 

本来医療というものは、それなりの設備と精神的・時間的余裕がないとできないはずである。患者は家庭医・かかりつけ医・在宅医療制度などに幻惑され、上記の厚生省の描いているシナリオの本質を見抜けず、医療費抑制政策の犠牲になり始めている。

私は上記現実を踏まえて、以下の問題点を掲げたい。
 1. 家庭医・かかりつけ医というあいまいな概念のため真面目な開業医はさらに重い責
   任を強制・要求されることにならないだろうか。
 2. 医療従事者(医師・看護婦・その他パラメディカルスタッフ)を蔑ろにして製薬会
   社・薬卸業者・医療機器メーカーが優遇される現在の医療費支出の矛盾。
 3. 診療報酬の低さと不適切さのため診療環境を整備する資金の捻出さえ出来ない現
   状。
 4. 以上のことから派生する医師の威信の失墜や患者の権利の主張は医療行政の悪化に
   伴う患者の不安と不満の反映ではないだろうか。
 5. そして精神的・経済的余裕がなくなった医師からは、次第に理想や希望が遠のいて
   行きはしないだろうか(これが最も最悪の事態である)。
   
更に、私は一開業医として、いつも次のことを身上にしている。
 1. 医者はサービス業であるが、他のサービス業と決定的に違うのは他人の不幸を金に
   して生計を立てている事であり、それ故ひっそりと目立たぬ様に、喧嘩せぬ様
   に、後ろ指さされぬ様に生きて行きたいと思う。
 2. 絶対に患者に不利益をもたらしてはならない。
   自分がそこに開業しているがために、助かるべき患者が助からない事がないよう
   にしなければならないと思う。
   医師の怠慢は許されるべきものではない。
 3. 自分の知識は患者の問題解決にとって有用な道具であるべきである。しかもその道
   具(知識)はつねに研鑽され、切瑳琢磨され続けなければならない。

 

II. 医師の喘ぎ
 医療現状と自分の身上を背景にした私の現実はやはり過酷と言わざるを得ない。通常の一日は次のように過ぎてゆく。

7時起床。我が医院の開院時刻は8時30分だが、毎日7時50分頃から胃カメラ注腸造影・胃レントゲン検査をはじめる。
午前の部は休みなく働いて12時30分から13時に終わり、昼食は15分位で済ませ、すぐに往診へ(当院への既入院患者に対してを原則にしているため 2 〜 3人往診し、13時40分頃に帰院。往診のない日には患者の血液データ等を見直したり整理する)。13時40分頃からは入院患者の回診をし、午後の診察を14時30分からはじめる。さらに季節によっては市の一般検診や校医としての仕事がはいり、なお一層忙しくなる。午後の診察は17時30分までだが、通常18時過ぎまでとなる。
通常の診察日は約10時間以上の間殆ど休みなく働き、一日当たり100人程度の診察をしている。診察が終わっても、その日の患者の問題点などを調べたり、紹介状や診断書等を書いたりしていると一応の日課が終わるのは19時頃。
あまりに余裕がないので平成5年12月から週休二日制にしたが、その替わりに祭日は診ているし土曜日を半日診療から一日診療とした。結局一年あたり10日ほどの休日の増加だが、ゆとりが出てきたとは到底思えないし、台所は火の車である。

III. 患者の不安をもたらすものは何か?
 多くの医師は自分に与えられた天命を全うするためにとても忙しく頑張っている。
それでも、厚生省の総医療費削減政策は在宅医療・家庭医・かかりつけ医を押しつけ、ために医師と患者双方の主体性を無視し、医師をさらに余裕のない状況におい込み、その上に医師としての責任だけを重くのしかけようとしている。
加えて、インフォームド・コンセントという言葉の、現実を無視し歪曲した解釈は患者の権利を殊更に主張し医師の廉直で高邁な資質と良心的な裁量をも破壊しようとしている。

政府は、国民に対して人口の高齢化問題をきわだたせて強調し、総医療費急騰があたかも患者と医師のみの責任であるがごとく吹聴し、自分達の不慮・無策の責任を回避しようとしている。しかし、現実には製薬会社の言うがままの高い薬価を認め、安く輸入した医療機器を 3倍から 5倍で(ものによっては10倍で)卸すことを許可し、医療現場を蔑ろにするという厚生行政がまかり通っている。
これでは贈収賄が横行するのはあたりまえである。

寝たきり患者(老人だけではない!)や長期入院患者の入院管理費抑制の問題も医療体制の枠組みの一部と見せかけて、実は慢性期患者をその枠組みからはずしている。そこには定額支払制度(通称「まるめ医療」)という考えが持ち込まれ、「あなたはもう完全治癒の期待できないような慢性病の状態で、今迄の医療体制の枠組みだと医療費を無駄に浪費するだけだから、ほどほどのところでがまんしなさい。そして国としては治療費を○○円を限度に支払いますが、それ以上のことは補助しません。患者さん、お医者さん、悪しからず。」と言っているに等しく、これでは患者と家族の不安はつのるばかりである。

老人保険施設というのも、似た様な発想から生まれたものだろう。
「あなたは見(診でも看でもない!)たところ医療を受けるほど悪くない。(安上がりの)老人保険施設で療養しなさい。ちゃんと(?)国で『まるめ払い』で面倒見ますから。」ということか。老人保険施設を安上がりとはとんでもない。結局高齢者が増えて行うべき医療の総体は必然的に増加し、総医療費も当然増加する。
一時しのぎに別枠を設けて総医療費削減を目論でも、真面目な医師、きちんとした医療を受けるべき患者と全快を願う家族がいるのだから、そんな一時しのぎのごまかしは必ず破綻する。現にこの文を書いている今、予算(老人保険拠出金)が医療保険金を圧迫し、こちらの方の財政破綻も目前でもう老人保険施設の建設許可を取るのは難しいと聞くし、老人保険法の見直しまで視野にいれられている。

ついでに言うと、介護保険(法)というものも、一時しのぎのごまかしの要素をはらんでいる。国民全てが寝たきりになることを無理やり想定し、国民各自の人生観や死生観を無視し、寝たきり老人を抱えた家族のやり方にまで介入し規制しようとしている。「社会的入院の是正・長期入院絶対悪」の名のもとに患者から医療の一部を奪ってきた行政が、ここでもまた「寝たきり患者」に対して当然あるべきはずの公的福祉の一部を国民の負担率の増加として奪い去ろうとしている。

 

国民の必要とする医療(費)の絶対枠は小さくなるはずがないし、ごまかせるはずもない。素晴らしい世界に誇る国民皆保険制度を生み出した医療行政ではあるが、35年という長い猶予期間を与えられて、それを発展的かつ建設的に成長させるべきであった厚生行政の、何というお粗末でその場しのぎの貧弱な発想か!!

 

そしてさらにその発想は「在宅医療の推進」と「かかりつけ医・家庭医」制度へと至る。患者を在宅医療の名のもとに、家庭という非医療施設に追いやり、かかりつけ医などという言葉の裏で、患者自らの意志で医師を選択できるという患者の権利を侵害し、同時に医師に新たな責任を課し精神的・肉体的疲労の極に追いつめる。
医療費削減及び財源の捻り出しを念頭に診療報酬を事実上引き下げ、不適切に恣意的に操作しているのはその現れの一部だが、その前に財源確保のためにやるべきことは官僚の人件費削減(官僚の数の削減・天下り行政の改革)・医薬品流通の簡素化・医療機器の低価格化・輸入上の規制撤廃等々他にたくさんあるはずだ。

 

現実にはそんなに多くない往診(普通で自然な医療(脚注1)が往診でできるわけがないし、訪問看護にいたっては患者が望んでも家族が嫌う例が多い)の報酬を高くして、診療報酬を上げた様にみせ、その実、中小病院や有床診療所の看護料を低く押さえている。
これでは入院ベッドをもった中小病院や有床診療所は人件費や高い医療機器の償却に押し潰され成り立って行くべくもない。当然患者の事を十分考えることができる時間的・精神的・経済的余裕を持ったまともな医療ができるわけがないではないか。

つまるところ、今の医療行政は全ての責任を医師(病医院の経営危機)と患者(権利の制限、不安・不満の拡大)とその家族(精神的・経済的不安)に押しつけて涼しい顔をしている。本来患者と医師はお互いに理解し、話合って患者及びその家族の持つ問題点を明確にし、もって病気を軽快・治癒さすべき関係にある。
入院医療が必要か在宅医療(往診・訪問看護等)で十分かは医師と患者・家族の話し合いの中から自然に解決できるものであり、他の余計な第三者が無理に介在して、利益誘導の形で診療報酬を上げ下げして強制すべきものではないはずだ。

私は、以上掲げたごとき現在の医療・福祉政策を思う時、ナチス・ドイツのやったユダヤ人皆殺し政策を思い浮かべてぞっとする。まさに『高齢者・病人に対するホロコースト政策』と言わざるを得ない。

今、おぼろげながら、何か得体の知れぬ力によって、強制的に患者と医師のいい関係が乱されつつあることを感じているのは私だけであろうか。
我々開業医は、病医院運営上負担の大きい自前の付き添い看護を強いられるため、経営上仕方なく、人手のかかる患者を他の病院に転院させ、または自宅に無理に帰らせる。こうして不本意な医療を不本意な「医師と患者・家族との関係」のままに続けなければならない様になってきた。私の関わっている患者や家族だけが「これでちゃんと病気が治るのだろうか。」とか「病人の面倒が看られるのだろうか?」という言いようのない不安を覚えているのだろうか。

 

IV. 提言:今直ちにやらねばならぬこと。

 1. 医療費の無駄遣いを徹底的に削減すること。
  イ. 官僚をはじめとする無駄な人件費削減(官僚の数の削減・天下り行政の改
     革)。
  ロ. 医薬品流通の簡素化。
  ハ. 輸入上の規制緩和及びそれによる医療機器・医薬品の低価格化。
  ニ. その他、各種行・財政改革と規制撤廃。
 2. 医療費への国民の負担を増加させること。(健康を守るのに今の国民の負担(率)
   は安すぎる)
  イ. 消費税はその理念から消費者が負担すべきもの。医療に消費税を導入すること
     は当然のことである。
  ロ. 各自治体で行っている、各種健診の自己負担を増やす。
  ハ. 老人医療費がタダに近いと言うのは、もともと無理のあること。
     年金財政の健全なることがベースにあっての提言であることは当然。)
  ニ. 民間保険の(部分的)導入や自由診療の取り入れを積極的に検討する。
 3. 医業に対する固定資産税をなくすこと。
   医療が社会資本である限り当然のことであろう。現在公立の医療機関だけが固定
   資産税を免税されているが、
   公私の差の確固たる根拠はない。
 4. 開業等について、その借金に見合ういわゆる「医療特別税制」の導入。
   借金と重税で医師としての労働意欲が半減する。
   (開業医の税金負担率は 70%を越えている、借金がある場合には激しい重税感を
   覚える。日本の累進課税は重すぎる。)
   せめて借金を支払うくらいの期間は税制において医師を優遇すべきであろう。
   それは医師に精神的・時間的・経済的余裕を与える最良の良薬である。
 5. 各種福祉政策の抜本的な見直し
   高福祉社会はその行政手法のために、規制という権限をもつ(非生産者である)
   官僚をはびこらせ生産者の労働意欲をなくし、
   一部の国民を甘やかす以外の何者でもない。
   できるだけ国民一人一人が、自分の将来については自分で責任を持つ様指導教育
   し、それが出来る様な政策を考えるべきである。
 6. 『薬局』、『診療所・一般病院』、『公的病院』の役割を明確に区別し医療費に大
   きな格差をつけ、疾患に見合った医療機関で
   効率の良い医療ができる様工夫する。簡単な風邪位は薬局でもっと安く風邪薬が
   手に入る様にし、診療所以上の医療機関にかかる
   患者を減らし、医師の過労状態を軽減する。その上で医療費を設定し直し、診療
   環境を整備する資金力を提供し、そういう方策を
   もって医師の労働意欲を高め、ひいては患者に対するより良い医療を提供できる
   ようにする。
 7. 保険医の定年制導入。
   老医師の引退に伴い、若い医師の地位と所得向上につながり、労働意欲も増すこ
   とになろう。
   患者にとっても非常にいいことである。
   (但し、政治家や官僚の定年制と並行して実現させることが肝要。)
(補記)場合によっては国民皆保険制度の破棄を行い、それにかわる政策を改めて考     え治すことも必要だろう。
 脚注1: 普通で自然な医療      ある日突然、国民皆保険制度がなくなった時でも、患者や家族が納得し得る      必要最低限の医療行為と筆者は考えている。
  1996年11月

井原医師会  鳥越恵治郎