第6話:「医療界における現今の極めて貧弱なコンピュータ文化を嘆く」

A. 「HAL」への夢
 筆者は、パソコンなるものが BASIC というプログラミング言語を搭載して世に爆発的に普及しはじめた昭和57年頃より、医学領域におけるコンピュータ利用の可能性を追及し続けています。最終的な目標は、患者との対話(問診や治療など)以外は全てコンピュータに委ねることができないだろうかと夢想しているのです。
 もっと具体的には A. C. クラーク原作、S. キューブリック監督作品の映画「2001年宇宙の旅」(1968年、昭和43年)に出てくる「HAL」という高度な知能と知識をもったコンピュータが医療界にも登場して我々を補佐してくれるような時代の 訪れを心待ちにしております。
 ところが現実はどうでしょうか。CPU は飛躍的に能力を高め、メモリは無尽蔵拡張でき、OS も UNIX に代表される如く、マルチタスクマルチユーザーなシステムとしてほぼ完成の域に達しております。「HAL」の基本設計はもう10年も前から可能の域に達していると言っても過言ではないと思います。しかし平成11年の現在、架空とはいえ「HAL」の登場から約30年も時を進めた現在でも、医学界の様子は殆んど進歩しておりません。伝え聞くは「オーダリングシステム」、「電子カルテ」のみで、それも医師の労力を補う、あるいは医師の仕事を軽減するという意味では全く実用に耐えないものばかりです。また医師の記憶の補助、診断や判断の支援を目指したシステムは一向に現れてきません。医学界はコンピュータ文化を受け入れることができないかの様相を呈しております。

B. コンピュータによる診療支援における機能
 以下、1984年つまり15年前にある雑誌に載った医療界におけるコンピュータの機能(役割)について列記します。


 1. 種々の医療統計(患者統計、疾病統計)が容易に作成できる。
  (1')疾患の発症予防や発症予測のために必要なデータが蓄積され、その解析が
     やり易くなる。
  (例)○個人レベルでの脳卒中・心筋梗塞発症の危険率の正確な推定。
     ○個人レベルでの悪性腫瘍の発症の危険率の正確な推定。
 2. 類似症例に関するデータ(剖検所見なども含む)の抽出が容易にできる。
 3. 個々の患者の臨床データ(薬歴、既往歴、現病歴、検査成績、退院時抄録など)を
   容易に知ることができる。
 4. 薬剤情報(薬理作用、適応、副作用など)や中毒情報を容易に知ることができる。
 5. 臨床データの統計処理およびその結果が容易に参照、表示できる。
 6. 薬剤処方のチェック(配合禁忌、極量、相互作用など)が迅速、簡単にできる。
 7. 問診が医師の手をかりずになされ、そのサマリーが自動的に作成される。
  (7') 問診表等を用いて予診が自動的に行われ、自動的の解析されて診察室に届く。
  (例)○コンピュータによる問診及び心因反応・ストレス反応の推定。
 8. 病棟などにおいて医師の指示内容の実施計画および実施の有無確認が容易にできる。
 9. 食事療法に関する情報(カロリー計算、治療食の献立の作成など)が容易に得ら
   れる。
 10. 長期フォローアップ患者の管理(呼び出し状、住所ラベルの作成、経過表の作成)
    が人手をあまりかけずに行うことができる。
 11. 診療計画(看護計画も含む)に役立つ情報が容易に得られる。
 12. 指示情報(投薬、検査など)が迅速に各部門(薬局、検査室)に伝達される。
 13. 卒後教育サービスの充実にコンピュータを利用する。
 14. カルテの収納、取り出しが早くでき、貸しだし先が容易に分かる。
 15. 病棟での空きベッドの管理が容易にできる。
 16. 医師の勤務スケジュールの試案が自動的に作成できる。
 17. 薬剤、疾病等について参考文献、要約を容易に参照できる。
 18. 医用画像(レ線フィルム、内視鏡像、その他)が必要な時に容易に取り出せる。
 19. 画像情報(レ線、眼底、細胞診)などが自動的に解析、判定される。
 20. 緊急の場合などに、診療機器の使い方などのコンサルテーションが容易に受けら
   れる。
 21. 個々の患者の病歴サマリーなどが自動的に編集される。
 22. 救急受け入れ施設に関する情報が容易に参照できて、施設の選択がしやすくなる。
 23. 個々の患者の来院歴、過去の受診状況などが容易に参照できる。
 24. ベッドサイドにおける患者の生体情報の収集・解析、薬物動態解析などが自動的に
   なされる。
 25. 薬物中毒患者の治療に関する情報が容易に得られる。
 26. 混合注射の際に、相互作用などのチェックが容易にできる。
 27. 各種成分輸液量の計算が容易にできる。
 28. 検査、診療、手術、入院などの予約が容易にできる。
 29. 救急時における他院の患者のデータが容易に得られる。
 30. カルテ、X線フィルムなどが電子ファイル化され、コンピュータに記憶され、容易
   に検索できる。
 31. 電子メールを院内各部門や院外などへの連絡に使用できる。
  (31')紹介状の作成(経過サマリー)が容易に出来る。患者データを他院に容易に
       転送出来る。また他院より取得できる。
 32. カテーテル検査の情報の収集、解析、蓄積が自動的になされる。
 33. 心電図や脳波の波形データの収集、解析、蓄積が自動的になされる。
 34. 放射線被爆量の管理が容易にできる。
 35. 個々の患者の検査結果が時系列的に整理され、見やすくなる。
 36. 検査結果の正常・異常などのスクリーニングが自動的になされる。
 37. 特定疾患に対する診療内容のチェックが容易にできる。
 38. 各種異常所見から可能性のある診断を容易にチェックできる。
  (38')症状・所見より考えられる疾患を抽出、その疾患について正確な知識を取得。
       ある疾患について、それと鑑別すべき疾患の抽出。さらにそれぞれの疾患に
       ついて正確な知識を取得。
 39. 患者モニタリング装置(心電計、陣痛計など)からのデータの収集・解析、蓄積が
   自動的になされる。
 40. 診断・治療に関する専門知識が容易に得られる。
  (例)○不整脈の正確な診断と一番適当な薬物療法の選択。
     ○酸塩基平衡および水分平衡の診断と正確な治療法の解明。
     ○感染症の正確な診断及び抗生剤の正確な使用方法の選択。
 41. 院内ネットワーク構築への情熱と、それを使いこなす勇気と持続性をもった人材の
   養成。(レセプト作成がやり易くなる)
 42. 栄養指導、服薬指導、慢性疾患指導等が容易に出来る。
 43. 人間ドック等、患者説明用の報告書が容易に作成出来る。

C. コンピュータ診療支援の一般的現況
 我々は、上記Bで挙げた 1. 〜43. の項目のうち、現実に満足なコンピュータ・アプリケーションをいくつもっているだろうか、個々に見てみよう。
 分かり易くするために、「◎○△×」をもって評価することにする。各記号の意味は 以下の通りです。


   ◎:現在十分満足できる
   ○:不十分だが、実用的の域に達している
   △:やっと開発が始まったばかり
   ×:手がかりさえない。見通しがたってない。
 筆者の独断と偏見ではあるが、結果は以下の通りであろう。
  1. ◎ ・・・17. 18. 35.
  2. ○ ・・・3. 4. 9. 14. 15. 23. 31. 33. 34. 40
  3. △ ・・・6. 8. 12. 22. 25. 26. 28. 30. 41. 42. 43.
  4. × ・・・1.  2.  5. 7. 10. 11. 13. 16. 19. 20. 21. 24. 27. 29. 32. 36. 37. 38. 39.

D. 医療界にコンピュータ文化が根付くには
 結局、上記C.で証明した通り現今の医療界におけるコンピュータ文化は、極めて貧弱であるという他はありません。
 筆者はコンピュータの本来の機能は演算、検索、並べ換え(ソーティング)、蓄積(保存)だと思ってます。決して通信や画像処理ではないような気がします。
 しかしながら昨今の医療界に存在するコンピュータ文化は、画像処理と遠隔通信に過ぎないとしか筆者には見えません。撮影した画像がそのままモニタに現われても、筆者には何の感激もありません。またその画像が時間をかけて、かなりの経費を必要として遠くに転送されても、お金の無駄づかいにしかみえません。画像はブラックボックス(コンピュータ)の中で解析され、ヒトの目に見えない異常がみいだされ、それが瞬時に全世界に転送されるようにならない限り、画像処理や通信において、コンピュータの介在意義はありません。
 筆者はコンピュータの本来の機能を最大限駆使して、臨床家のもつ芸術的なあるいはファジーな診断治療の世界をアルゴリズムとして表現する方法を求めることこそ、コンピュータをコンピュータらしく使う正当な道であろうと思います。あるいは雑用にも似た各種の書類への記載や書類作成などをコンピュータを操っていとも簡単にこなしてしまうことを目指すことこそ本来のコンピュータの使い方ではないかともおもいます。
 筆者は少なくとも医療界にコンピュータ文化が根付くには、こういう方向性をもった研究が華やかにならなければいけないと思っております。