第14話:「アグリビジネス」
【アグリビジネス】

 筆者は最近アル中ハイマー(名づけ親は山田風太郎氏らしい)気味で、『これが正論だ!!』のネタも少なくなってしまった。第18回を書いてほぼ一年、何とかしなければと思っていた矢先に、素晴らしい本に出会った。原著・訳書ともにかなり古いが、内容は決して古くないばかりか、おそらく世界中のあちこちで悪い方に拍車がかかっているに違いない。なぜなら人間は概ね性悪だから。
 そこで「これが正論だ!!第19話」はスーザン・ジョージ『なぜ世界の半分が飢えるのか』(小南祐一郎・谷口真理子訳、朝日選書)から、一部抜粋してアグリビジネス(*)の実態を紹介してみたいと思う。著作権については、訳書325ページに「本書は”著作権侵害”をしてもらうために書かれたようなものだから...」と書いてあるので、遠慮なく読者に御紹介する。以下抜粋。
 
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 ビューラーやアルファ・ラヴァルのような会社は、工場をつくり、技術者を養成し、そして立ち去ってゆく。だが、不幸なことに、たいていの加工業者たちは横械を持ち込んでくるとそのまま居座ってしまう。セネガルに製粉工場をつくったフランスの多国籍企業レ・グラン・ムーランは、現地産の穀物(モロコシとキビ)を原料に使おうとはしなかった。セネガル産のものを使うためには機械設備を手直ししなければならず、またセネガルでの原料調達が不安定なこともあって、同社は決められた時期に安定した量が手に入る輸入小麦を使用した。1960年以降、セネガルでは医師たちが栄養不足を克服するために、モロコシやキビを混ぜたパンを食べることを奨励したが、それを大きな加工業者に義務づける法律はない。こうして現地産の農作物はますます見捨てられてゆくことになる。
 苦労をしてさがせば、低開発国の役に立っているアクリビジネスをもう少し見つけ出せるかもしれない。それはともかく、前述のアグリビジネスは世界の食糧をまかなっているのか」という設問に対する答えはどうなのか。
 この間いに一番適切な回答を出しているのは125カ国の組合を結集し、2200万人にのぼる組合員を擁する国際食品労連(IUF)であろう。IUFの見解では、アグリビジネスは世界の食糧をまかなうどころか、自分のところで働く労働者にも満足に食糧を与えていないという。以下はIUFが世界食糧会議向けに作成した文書の一部である。
 「アグリビジネスは、現在の食糧危機に対しては、とりわけ大きな責任がある。過去10年間、食糧不足と栄養不足は深刻化する一方であったにもかかわらず、多国籍農業会社は成長と繁栄をつづけ、食糧不足の深刻化とはまるで逆の現象を呈した。だが、これは決して矛盾したことではない。アグリビジネスの目的は、食糧資源を増やすことでも、食糧の公平な分配に寄与することでも、また技術を各国の国情に合わせて応用してゆくことでもない。彼らの目的は、まず第一にその市場を拡大し、生産費を最小限に切り下げて利益を増やすことである。これはわかりきったことかもしれないが、世界食糧会議という場では、このことをあらためてはっきりさせておかなければならない。なぜなら、この会議では、多国籍企業側が自分たちこそ世界の食糧危機を解消する能力を持っているのだと宣伝に努めているからである。
 だが、発展途上国の食品労働者は、この能力なるもののために長い間苦汁をなめさせられてきた。安い賃金、貧弱な住宅と保健設備、ひどい労働条件に苦しんでいるアグリビジネスの労働者やその家族の間では、食糧不足、栄養失調は珍しいことではない。多くの多国籍農業会社が自分のところの労働者すら満足に養っていないとすれば、どうして彼らがすべての人びとに豊かな食糧をもたらすなどと考えることができよう」。
 アグリビジネスの”能力”がどんなものかは、IUFの文書をはじめとする
さまざまな資料に数多くの実例があげられている。スリランカの茶園で働く労働者は、その多くが女性であることもあって、世界でもっとも低い賃金しか得ていない。茶園の労働者は、スリランカに入る外貨の約4分の3を稼いでいるにもかかわらず、「会社の経営する店でしか日用品が買えず、しかも質の悪い商品を押しつけられているが、それさえも十分には買えないうえ、借金までつくる。彼らは顔をみただけで栄養不足とわかるほどで、一時解雇の時期などは餓死寸前になる」。スリランカのなかで、乳幼児死率がもっとも高いのは茶園労働者である。彼らは狭苦しい小屋に入れられ、自分たちの食物をつくる土地もないのに、「管理人は広い土地つきの大邸宅を持ち、なかにはプールや小さなゴルフコースつきのものもある。彼らはその気になれば野菜畑や花畑どころか牧場でも養鶏場でも持てるし、そこで働く使用人も雇える」のである。茶園の労働者は日給制で、つねに臨時雇いであり、安定した雇用の保障などはどこにもない。
 以上はスリランカの一宗教団体が明らかにしたものだが、こうした状況はどの茶園にもあてはまる。IUFもこう指摘している。「新しい進歩的な経営者が現れて、人類の豊かな新しい時代への道を切りひらくようなことがあったとしても、ブルックボンド・リービッグがその仲間入りすることはないだろう。茶園労働者は、水もろくにないような不衛生な家に住み、病気や栄養失調に悩まされている」。(pp.231-233)
 
 食品会社が世界の半分の人びとのことを都合よく忘れ去っているという証拠がこれほどあるにもかかわらず、オーヴィル・フリーマンのような人物は、多国籍企業を”世界の政治指導権を握るにふさわしい”ものとみなしている。彼は「食糧不足が問題なのではない」として、次のようにいう。
 「能率的な経営こそが、いま存在している食糧供給力を最大限に引き出すことができる。しかも、食糧資源は世界の各地に散在しているから、お互いに主権にこだわって相争っているような民族国家の枠内では、食糧生産を必要とされる水準にまで高めることはとうてい不可能である。ともかく民族国家は、世界的見地に立って重要資源を分かち合わねはならない」。
 この”分かち合い”を企業がどう考えているかについては、これまで述べてきた通りだが、フリーマンはつづけてこう説明を加える。「さまざまなそしりを受けながらも、めざましい成功を収めている多国籍企業というひとつの制度、それは世界的規模で物事を考え、計画し、行動する。・・・これら多国籍企業は、国境の区別なく全世界にわたって商売をしている。彼らは、あらゆるところで最良の人的資源、物的資源を探し出し、さらに、もっとも進んだ技術と経営管理と販売方法を使って、最小限の費用で生産、販売し、最大限の利潤をあげるー−つまり最大限の効率をあげようと努めているのである」。
 だが、これまでに明らかにしてきたように、この効率は世界で半分を占める人びとには及ばない。
 フリーマンの熱意に賛同し得ない人びとの目標ははっきりしている。それは企業による食糧生産と販売の支配を弱めること、そして、独立平等の民族国家を、企業に対抗し得る唯一の世界的防壁として強化してゆくことである。さもなければ、”消費者”には決してなり得ない何億という貧しい人びとは、つねに栄養不足や飢餓にさらされねばならないだろう。(pp.234-235)
 
 貧しい国々は、はなはだしく不利な貿易条件、西側の開発援助の不足に苦しんでいるだけでなく、次第に大きくなっていく対外債務の重荷にも悩まされている。世銀統計によると、1974年末現在における低開発国の対外公的債務は(二国間、多国間、政府、民間すべてを合わせ)1395億ドル(未実行額を含む)という巨大な額に達し、この年の元利支払いだけで年間122億ドルに及んだ(訳注=77年末では88低開発国合わせて2527億ドル、年間元利支払額は218億ドル)。この元利支払いの増加は年々外貨収入の伸びを上回っている(不利な貿易条件のために、貧しい国々全体の貿易収支は赤字つづきで、まさに悪循環そのものだ)。こうしたことから、世銀とIDA(国際開発協会)はかつてないほど大幅に融資額を増やしたが、それでもなお、”極貧国”といわれる年間一人当たり国民所得200ドル以下の国々の一人当たりGNPは、1974年から78年にかけて、年0.4パーセントの割で減少するだろうといわれた。
 要するに、裕福な国々の利己主義のために、国家間の貧富の差は、少なくとも紀元2000年までは拡大しつづけるであろうということだ。マクナマラ(**)は「こうした傾向をわれわれの力では阻止できそうにない。われわれにできるのは、絶対的貧困というもっともいまわしいものをこの世から一掃するために、いますぐ行動を開始することだけである」と嘆いている。だが、これだけ大げさに騒いでおきながら、世銀は農業向け融資を五年がかりで全体の20パーセント(結果は31パーセント)に増やすのがせいぜいで、しかも小農にはその一部しかまわらないというのでは、なんともがっかりさせる話である。これがはたして”ないよりまし”になるのか、あるいは今後の世銀の政策を占う手がかりになるのかはまだわからない。世銀は、絶対的貧困をめぐるその黙示録的な分析に基づいて、根底的な新しい農村開発戦略を打ち出そうとしているのだろうか。それとも、これまで失敗してきたものと同じような旧態依然たる救済策を今後もつづけようというのだろうか。
 マクナマラの公式発言や世銀の文書は、随所で「緑の革命」を婉曲に批判している。「緑の革命」を強要した結果は、すでに裕福だった農民を近代化し、一方で貧しい農民をその土地から追い出すことになった。マクナマラもこの点には気がついているようで、「近代化された層より旧態依然たる層のほうへ恩恵が及んだのはごく限られた場合だけで、貧しい人びとを直接潤すような方法がとられない限り、収入の格差はひろがるばかりだ」と述べている。つまり、小規模な農業の生産性向上をはからねばならないということである。マクナマラはまた別の機会に、世銀が融資したもののなかではもっとも総合的なメキシコの農業開発計画について触れ、メキシコがこの計画を必要とする理由は、「この国が、農業生産において過去30年以上の間ラテンアメリカでもっとも高い成長をとげてきたのに、多くの地方では農村の窮乏がひどくなっているように思われた」からであるという。この30年間は、まさにメキシコで「緑の革命」が推し進められた時期であり、その間、大規模で生産性の高いアグリビジネスの農場がつくられる一方で、とり残された人びとの貧しさは深刻化した。(pp.286-287)
 
(*) アグリビジネス
   ハーバード大学ビジネス・スクールのレイ・A・ゴールドバーグが名づけた言葉。農業生産物の全ての生産と販売ーー農場における生産、
   貯蔵、加工および農作物とその加工食品の販売を行う産業
(**)マクナマラ
   1968年に国際復興開発銀行(世界銀行、世銀)の総裁に就任
 
原著:Susan George.How the Other Half Dies
:The Real Reason for World Hunger
(Pelican Books、1977年版)
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平成16年10月31日 鳥越恵治郎