第24話:【“高齢者に不適切な薬のリスト”は不適切である!―“ビアーズ基準の日本版”をめぐってう】
【“高齢者に不適切な薬のリスト”は不適切である!―“ビアーズ基準の日本版”をめぐって】
フジ虎ノ門健康増進センター 斉尾 武郎

 今年のエイプリルフールに笑いごとでは済まされない記事が新聞紙面に踊った。「高齢者ご注意、避けた方が良い薬のリスト 国立研究機関」という記事 である。これは高齢者への投与を避けるべき“不適切な薬”約70種類の一覧を国立保健医療科学院・今井博久疫学部長らがファイザーヘルスリサーチ振興財団や文部科学省から研究費を得てまとめたもので、詳しい内容は日本医師会雑誌2008年4月号に掲載された 。この新聞記事が出た後、患者から自らの処方内容に疑念を持つ声が多数上がり、私の診察室もおおいに混乱した。
 その後も、多数のメディアでこの“高齢者への投与が不適切な薬のリスト”が、肯定的に報じられた。否定的に報じたメディアはほとんどまったくない。また、その後より、今井氏が“ビアーズ基準の日本版”について、医療専門職・医学薬学系学会などで活発に講演を行っている。
 “ビアーズ基準の日本版”というからには、モデルとなった“ビアーズ基準”がある。“ビアーズ基準”は、高齢者に投与した場合にリスクがベネフィットを凌駕すると考えられる“不適切な”医薬品のリストで、米国のマーク・H・ビアーズ氏らが米国の薬理学、老年医学、精神医学をはじめとした専門知識を有する急性期・慢性期・地域医療の専門家に依頼して“デルファイ法”という合意形成方法を使って作ったエキスパート・コンセンサスガイドラインである。当初1991年に発表され、2003年の改訂が最新版である 。
 さて、“ビアーズ基準の日本版”にリストアップされている薬を一覧して、まず驚くのは、高齢者に投与するのが不適切な薬として、“ヒロポン”(メタンフェタミン)が挙がっていることである。筆者は医師になって20年にもなるが、ヒロポンを医療用として使っているのを見たことがない。ヒロポンやバルビタールが不適切薬に挙がっているのを見て、このリスト(基準)の作成者たちは、アプレゲール作家・坂口安吾の時代の医療を念頭に置いているのかと思った。
詳しくみてみると、この他にもいくつもおかしな点がある 。不思議に思って米国の“ビアーズ基準”をみてみると、そもそもこれ自身がナンセンスである。また、米国の“ビアーズ基準”が実際に有効かどうかをレビューした論文もいくつかあり、このリストは実効性に乏しく、妥当性の低いものであると分かる。実は米国版の“ビアーズ基準”をまとめたマーク・H・ビアーズ氏は、かのメルクマニュアルの編纂者であり、いわば米国医学界の最高権威のひとりである。これはどうしたものかと頭を抱えてしまった。
 今井氏が高齢者には医薬品の副作用が起きやすいのを憂慮して、このようなリストを作成したのは、医療人としての良心のなせるわざかもしれない。したがって、筆者はこのリストを作成したこと自身を責めるものではない。しかし、普通の臨床医が見て、一発でナンセンスだと分かるほどのものをマスコミを通じて一般大衆に広めるというのはいただけない。そして、この“ビアーズ基準の日本版”の作成に関わったこの国の一流の研究者たちは、このリストにきちんと目を通したのかと疑問に思う。この日本版のリストについては、文献検索やハンドサーチを行っても、ほんのわずかしか、批判的な意見 が見つからない。今井氏の行った種々の講演で、質疑応答のさいに会場から異論が続出したのであれば救いはあるが、そうでないならば、この国の医療は健全なる批判精神を忘却しているのであろう。

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高齢者ご注意,避けた方が良い薬のリスト 国立研究機関. 朝日新聞.2008年4月1日付.
(http://www.asahi.com/life/update/0331/TKY200803310352.html )

今井博久,Mark H. Beers,Donna M. Ficks,庭田聖子,大滝康一.高齢患者における不適切な薬剤処方の基準─ Beers Criteria の日本版の開発.日本医師会雑誌.2008;137(1):84-91.
(http://d-inf.org/t/nichii_137(1)_84-91.pdf )

Fick DM, Cooper JW, Wade WE, Waller JL, Maclean JR, Beers MH. Updating the Beers criteria for potentially inappropriate medication use in older adults:results of a US consensus panel of experts.
Arch Intern Med. 2003;163(22):2716-24.
斉尾武郎.Beers Criteria日本版への疑義:未熟なコンセンサスガイドライン. 臨床評価 2008; 36(2)467-72.
( http://homepage3.nifty.com/cont/36_2/p467-472.pdf )

戸田克広.「高齢患者における不適切な薬剤処方の基準─ Beers Criteria の日本版の開発」への質問:長期作用型ベンゾジアゼピン系薬より短期作用型ベンゾジアゼピン系薬のほうが安全なのでしょうか?
日本医師会雑誌.2008;137(7):1496-7.
( http://pediatrics.news.coocan.jp/my_paper/nichii2008_102.pdf )
平成20年12月25日 鳥越恵治郎